郭沫若記念館(千葉県市川市)

11月1日、上海の友人が帰国するのを成田まで送って、一緒に前泊してやりました。放っておいて、一人で帰しても一向に構わないのですが、ついでに何か美味いものでも食おうという魂胆(笑)。いやいや、そうではない、これぞ真っ当な目的というのは、つまり市川にある郭沫若故居(記念館)を参観すること。前からずっと来たいとは思っていましたが、なかなか腰が重く、今回成田まで車で来たついででもなければ、まだ先延ばしになっていたことでしょう。

郭沫若は20年代後半から10年間、市川で亡命生活を送りました。市川の中でも何か所か移り住んだようですが、その中で最も長く住んだ家屋が補修され、しかも本来の場所とは異なる所に移築されて、現在は市が管理する記念館として開放されているというわけ。地番としては市川市真間というのですが、つまり「真間の手児奈」の言い伝えのある所です。

成田から車で約1時間、カーナビの言うことを聞いていたら、どんどん細い道に入りこんでしまったので、結局JR市川駅と京成市川真間駅の間くらいのコインパーキングに車は置いて、以降は徒歩ということにしました。記念館にも駐車場はありません。

道案内の看板

簡単な地図は持参しましたが、駅からはこのような道案内の看板が整備されていて、迷うことはありません。ただし、結構な距離です。この日は前々日までの台風模様とは打って変わって、好天に恵まれ、暑いくらいでした。

駅からひたすら真っ直ぐに歩いてくると、須和田公園があります。ここには郭沫若の「別須和田」という長詩を刻んだ詩碑があります(写真は後に掲げます)。ここを左手に曲がり、切り通しを抜けて道なりに進むと、記念館に着きます。

これが入口です。敷地は結構広く、手前は花壇が設えてあります。

どうやらこの敷地全体は、正式には「郭沫若記念公園」というらしいですが、どうも名称が混乱しているようです(?)。

「公園」を含む故居=記念館の全景です。

で、更に故居側に接近すると、今度は「記念館」の看板が立っています。

この額は真跡とのこと。床の間の掛け軸はニセモノだそうです。

内部はこんな具合で、狭いながらも色々と展示があります。恐らく余り見学に訪れる人もないのでしょう、大変きれいに管理されています。ひとつ不思議に思ったのは、かつて見たTVドラマの「沫若与安娜」に描かれていた市川の住まいと、雰囲気、間取りなどが良く似ているということです。ちゃんと考証したのでしょうか?それとも、ここに長らくお住まいだった六男・志鴻さんあたりがアドバイスしたのでしょうか?

故居を出て、来た道を戻り、須和田公園に入り、詩碑を見ました。なかなか立派なものです。私が日本で見た郭沫若の詩碑として、福岡志賀島、岡山後楽園についで三番目になります。

左側が「別須和田」の詩(かつての地名は市川須和田でした)。

右側が郭沫若の胸像レリーフ。余り似ていないというか、少々情けないお顔のようですが…。

もう一か所、地図には「桜土手公園」という所に、何か郭沫若に関係したものがあると記されておりました。桜土手公園といっても、別に公園風ではなく、細い道沿いに桜が植えてあり、所々に市川とゆかりの文人に関する説明を記したややチャチな看板が立っているというだけのことでした。

看板の表は当該人物の経歴を記してありました。

裏は市川に関する本人の記述が抜粋、紹介されています。郭沫若については小峰王親訳『日本亡命記』からの引用でした。

というわけで、ようやく長年の(という程でもないか。笑)懸案を解決した次第。どうも市川のみならず、千葉という所について地理的な感覚が全く欠けていて、帰路はまだ時間も早いことだし、木更津から東京湾アクアラインに乗って帰ることにしたのですが、これが予想外の大回りになってしまいました。木更津なんていうのは、房総半島の取っ付きの辺にあって、市川の隣町くらいに思っていたのですが、全くポコペンなことでした。実は木更津、房総半島内側をほぼ半分くらい南下した辺りにあるので、成田から戻ってきた、その半分くらいをもう一度逆戻りして、更に館山方向へずっと車を走らせる破目になってしまいました。市川っていうのは、もうほとんど東京みたいな位置にあったんですね。