年の瀬、雪の仙台と松島

年の瀬、もう押し詰まったクリスマス・イブの24日、復旦大学の袁進教授を案内して、冬の仙台、松島に2泊で行って参りました。“寒い時には寒い所へいくべし”とかワケの分からないことをしたり顔で言って、見事に震えて帰ってきました、というのも、仙台、松島、雪だった!

新幹線こまちに乗れば、東京~仙台は90分程度の距離、案外近いものです。11時近くの列車でしたが、ちょうどお昼時に到着。早速昼飯ですが、チュゴクジンが好きだろうが嫌いだろうがお構いなし、先ずは牛たんでしょう。駅ビル地下食堂街の「喜助」という店で牛たん定食を食べました。しかし、以前も思ったことですが、こんなもん、何が美味いんだろう?盛り付けも貧乏臭いし、値段だって別に安くない。全国謎の名物の上位にランクされること間違いなしです。

宿に荷物を置いて身軽になってから、最初の目的地、東北大学史料館へ。単なる物見遊山ではなくて、やはりそこは魯迅センセイゆかりの土地を訪れて、遠く前世紀初に思いを馳せようという、殊勝な心がけです(笑)。これは東北大学正門です。

 

これが東北大学史料館です。ここに着いたのが14時半過ぎだったでしょうか。この頃からハラハラと雪が舞い始めました。史料館の展示には魯迅に関連するコーナーも設けてあります。『魯迅と東北大学』というパンフレットがあって、中国語版もあるのですが、しかしこれは生協に行かねば買えません。史料館で売ればイイじゃないかと思います(不肖ポコペン、その手の業務に関わっているせいで、実は大学附設の史料館が直接金銭の授受を伴う行為を行えないとは承知しておりますが)。こういう所はやっぱり国立大学だなぁ。

  

史料館の左手に、仙台医専旧跡の碑があり、その右には魯迅の像。まぁ魯迅を顕彰するのもいいですが、基礎課程の半ばで退学した、医学生の卵とも呼べないような人間を、いくら後に偉くなったからといって、学校との関わりで称えるというのも、度を超せばどうかと思うなぁ。

 

大学のキャンパスを出て、歩いて数分の所に、魯迅が住んでいた下宿が今でも残っています。かなり老朽化していて、家屋も傾いていますが、まだ人がお住まいのようです。ちゃんと標識も立てられております。

これは阿部次郎記念館。角川源義が出資して、阿部に主宰させた「日本文化研究所」の建物を利用したもの。住まいは別だそうです。東北大学史料館と魯迅の旧居跡を見て、所期の目的は達したのですが、定禅寺通りの光のページェント点灯時刻まではまだ間があるので、魯迅旧居前に看板のあったここへ来たということ。しかし、結構距離があって、足が棒…靴を脱いで展示を見ようとして、両足とも攣ったにはビックリ。

 

で、光のページェントは17時半に点灯されました。元々このイベントは青葉通りで行われていたそうですが、いま青葉通りは地下鉄工事中なので、こちら定禅寺通りに移って来たとのこと。ちなみに、少し前、電飾が火災を起こしたそうで、暫く点灯は見合わせていた、それが昨日から復活ということで、これは実にタイミング良かった。しかし、雪のクリスマス・イブということで、まぁ人の多いこと!

 

仙台2日目。昨夜地下鉄に乗って帰って来たときにも、雪はかなり降っていたので、予想はされたことですが、朝起きてカーテンを開けて見れば、このような有様でビックリ!今日は定期観光バスに乗って松島へ行く予定ですが大丈夫かしらん?雪に弱い東京なら完全に交通麻痺でしょうが、そこは何と言っても北国、誰も慌てた様子を見せず、バスも定刻にやって参りました。

定期観光バスは9時過ぎに仙台駅前を出発。乗客は我ら2名を入れて、計15名でした。先ずは青葉城址へ。天守址から仙台市街を見下ろしても、こんな有様。本当は眼下に広瀬川が見えるはずです。

 

城址広場の伊達政宗の騎馬像も寒そうに雪を被っております。

さて、こういう観光バスの習いとして、とにかく時間設定は慌しい。青葉城址には40分くらいしかいなかったでしょう。次に向かう先は塩釜の遊覧船乗り場です。11時の船に間に合わせるために、市内見物は本当のおまけ程度。ここから遊覧船に乗って松島へ行きます。バスは先回りして、客が松島観光を終えるのを待つということ。

 

船が動き出すと、ウミネコが追ってきます。これに与える餌は「かっぱえびせん」だそうです。

 

大小様々の島を眺めながら約50分で松島に着きました。しかし、船上は寒かった…。

 

先ずは昼飯。瑞巌寺の山門を入り(山門というけれど、ここは門から本堂まで平坦で見渡せます)、杉木立を抜けて、境内の一角にある食事処で貧しい宛がい飯。10分もかからずに食い終わってしまいました(…)。何といっても、お膳に見える動物性蛋白質は笹かまぼこだけなのですから、どういう食事か推して知るべしです(…)。

時間の余った向きは隣のお庭など御覧になっては如何と、バスガイドが勧めるので、別料金を払って円通院という、4代目だかの殿様の廟所を見物。雪のお庭はなかなか風情がありました。

 

で、瑞巌寺の本体ということになりますと、実は国宝の本堂は、建立以来初の大改修を行っていまして、それが完成して、再公開されるのは、何でも7年か8年も先とのこと。その間、お位牌やら何やらは、隣の庫裡に移されて参観させています。しかし、冬のお寺見物というのは足裏から凍えてきて、実にツライです。

 

瑞巌寺を出て、今度は向かいの五大堂へ。これは遠くから眺めるものであって、中に入って面白い見ものでもありません。

 

で、最後の参観先は「伊達政宗歴史館」という怪しげな施設。フン、要するに蝋人形館ですね。ここは2階建てで、1階は仙台、宮城に限らず、東北地方全域出身の偉人、有名人の人形が一堂に会しております。上図左は小林多喜二、右は…誰でしょう、この爺さん?実は秋田雨雀です。へ~という感じ。

 

二階の方もザッと通り過ぎてきました。かつて大河ドラマで伊達政宗をやったらしいですが、見ていません。その生涯も殆ど存じ上げませんので、ハァハァって感じ(萌えではない…笑)。

 

で、この子供騙しみたいな人形の館はすぐに出て、向かいのレストランで焼き牡蠣を4つ、熱燗を2本頂きました。美味かったです。上図右は、当日宿に戻って食堂で食った牛たん焼き。固かったな…。

翌日は雪も止み、青空が広がりました。仙台市博物館を参観に行きました。

 

館内を参観する前に、建物の左横にある魯迅の記念碑を見に行きました。ここに最後に来たのは(多分2度来ています)もう大分前のことで、図右のような、紹興市から寄贈された胸像など増えておりました。

博物館の展示から。日本の博物館といえば、やっぱ刀剣に甲冑かなぁ。刀剣の展示は殆どありませんでした。

 

博物館を出て、広瀬川に架かる大橋から下を覗き込むと、ヴ~、凍えそうな風景です。と、市街寄りの橋の袂を降りると、図右のような記念碑がありました。何でも、切支丹禁教のために殉教したポルトガルの神父さんらの碑だそうで、この大橋の辺りで水責めで処刑されたのだそうです。真冬のことだったら、心臓なぞきっとすぐに停止していたでしょう。それほど寒々しい場所です。

 

これは土井晩翠晩年の居所、「晩翠草堂」。図右の「天地有情」は、明治新体詩史に名高い晩翠の第一詩集の名前。

駅まで戻る道すがら最後に見たのが「青柳文庫」の碑。江戸末期、民間の篤志家が公開した、民間初の図書館だそうです。世の中には偉い人がいるものです。

という感じで、2泊3日の仙台、松島旅行も終わり。第一に寒かった。第二に牡蠣を結構食った。言うなればそれだけですが、まぁ特に面倒なこともなく順調に旅程をこなし、年の瀬もすっかり押し詰まった12月26日に無事東京に戻って参りました。袁進氏は、まぁ向こうも気を遣っていたのでしょうが、旅の連れとして特に問題なく、食い物も皆美味い美味いと召し上がっておられ、これは何よりでした。しかし、本当に面白かったのかなぁ?

羽田新国際線ターミナル

旧年中のことになりますが、師走も半ばを過ぎた頃、中国は上海、復旦大学から先生を招いて授業をして頂きました。その往復は、上海虹橋/羽田/虹橋という路線を利用したので、送迎の際に11月に新規開業した羽田の新国際線ターミナルをじっくり見ることが出来ました。

以前、韓国金浦空港に行くのに、羽田の国際線ターミナルを利用したことがありましたが、当時は何か貨物ターミナルでも流用したような、殺風景な感じでした。今度開業した24時間体制の新ターミナルは、小規模とはいえ、色々と利用客の利便性にも考慮した構造になっていますし、雰囲気も国際線ターミナルらしいです。

 

京急や空港モノレールが直接乗り入れているというのも新機軸で、この空港のセールスポイントです。

 

まだ先月の開業時の賑やかさを留めております。

季節はクリスマス、このような大きなツリーも飾られておりました。

これが国際線ターミナルの目玉(?)、「江戸小路」という飲食店/土産物店エリアです。中央に舞台が設えられ、その左右に店が並んでおります。

 

店の上にはこのような芝居小屋の雰囲気を模した演出もあります。

 

舞台の左右はこのような“小路”になっています。それぞれの店の間口は案外に狭く、ちょっとした土産物を並べるスペースとしては十分でしょうが、飲食店には狭いような気がしました。

展望デッキに上がるとこんな様子になっております。まだ新しくてキレイです。

このようにフェンスの邪魔なく写真を撮影出来るというのも…

こういう具合にフェンスの一部に窓が開いていて、そこからカメラを差し出すことだ出来るからなんですね。開業当時、よくテレビの報道でも紹介されていました。

まだ開業間もないということで、別に出発/帰国の人間だけでなく、専ら空港見物に訪れる人も随分といたように見受けられました。まぁわざわざ見に行くほどのことはないようにも思いますが…3月中旬に上海に行く便は羽田発にしましたが、中に入らなければ分からない免税店とかどうなっているでしょうか?

この時お迎えした中国の先生ですが、授業を終えてから仙台2泊の旅行にお連れしました。その際の様子などはまた別のタイトルで紹介いたしましょう。