上海巴金故居

2月中旬から5日間、慌しい日程でしたが、上海に行って来ました。科研の調査で、上海市作家協会にある文革時期の巴金批判関係資料を収集することが主たる目的でした。このテーマに興味を持っている院生を同道させたので、上海における巴金ゆかりの場所も案内してやりました(偉いセンセイだ。笑)。その内から、現在“巴金故居”と公にされている二箇所の写真を紹介しましょう。

先ずは1937年から戦後にかけて住んでいた霞飛坊(今は「淮海坊」)の故居です。3階建ての構造で、巴金(後には夫婦)は2、3階に住んでいたそうです。楊苡だったか、戦後にここが穆旦とか色々な人間の集う場所だったことを回想しています。次兄の李堯林が天津から上海に出て来た時も此処で同居したはずです。すると、今の長楽路/茂名南路のライシャムシアターも歩いて5分程度、足繁く通ったというのも理解出来ます。私のかつての記憶では、「淮海坊」という弄堂の標識が淮海路から見えた筈ですが、どうも見当たらなかった。最近、美臣大酒店というホテルがドカッと出来たせいで、この住宅群は巴黎春天というデパートと、ホテルに完全に隠されてしまったのですね。そのせいか、繁華街の真っただ中にも関わらず、案外に静かな感じです。

 

 

 

さて、次は巴金が亡くなるまで住んだ故居。といっても最晩年の数年間は華東医院に入院していたわけですが…。場所は武康路113号、淮海路の上海図書館を北に入る湖南路との交差点から二軒目です。1989年に私は此処を訪れて巴金に面会しました。今は誰も住んでいません。

 

 

この建物は2011年11月25日(巴金の誕生日)を期して、「巴金故居博物館」として一般公開される予定です。この写真を撮った翌日には、家具の選別、運び出しが行われたとのことです。

2011年新年早々の集中講義、伊勢、松阪、そして桑名

大分遅くなりましたが、今年2011年正月の旅行の際の写真です。旅行といっても、旅行のための旅行ではない、何と1月4日から丸3日間、三重大学人文学部に集中講義に参りまして、仕事を終えた後に松阪に一泊したという、いわば出先の小旅行(?)のようなものです。

下に並べたのは、一昨年から、津に滞在中に一回は寄ることにしている、津駅前の「伊勢門本店」のお料理です。2010年9月、前期の集中講義の際に試して効果的だったので、授業をしている間は飲酒を慎むことにしたのですが、これは講義を全て終えた晩に独り乾杯というわけで、少し奢った次第。

 

お通しとお造り。お酒は地元の「宮の雪」です。チラホラと雪の舞う、寒い日だったので、もちろん熱燗で。お造りには松阪牛も見えます(何か去年も同じような写真を載せた気がする…)。

 

左は「牡蠣の朴葉味噌焼き」、右は「クエの唐揚げ」です。そして今回のメインディッシュ(?)は、自分への御褒美、お年玉として伊勢海老です。

 

半身はお造り、残りの半身は焼き物、そしてお造りの殻は最後にアラ汁にして貰います。イヤァ、奢っただけのことはある、天下の珍味ですなぁ。

独り宴会の翌日は伊勢、松阪の観光です。近鉄で宇治山田駅に着きました。皇族も利用するとかで、異様に立派な、文化財的建造物でした。

 

先ずは徒歩で伊勢神宮の外宮のお参りに。お伊勢参りと言えば、先ずは内宮なのでしょうか、こちらはあまり人も多くありません。

 

で、こちらが内宮。やはり人が多い。そしてうるさい(…)。清浄な雰囲気、ましてや年の初めの初詣です、もう少し粛々と出来ないものでしょうか?

 

伊勢神宮は二度目ですが、ここはやはり清浄の地、という感じです。過剰な装飾を削ぎ落とした、簡素な美しさですね。右は五十鈴川です。この頃から雪が強く降ってきました。

 

これはお伊勢様の新名所「おかげ横丁」。右図は言わずと知れた「赤福」の本店です。まぁ巻き直しだか何だか、幾ら酷いインチキをしたってやはり人気の土産物です。みな行列をして買っていました。

 

こちらは「おかげ横丁」の半ば辺りで直角に交差している「おはらい横丁」。何のことか良く分かりませんが。訪れたのは7日、松の内ということもあって、まだまだお正月気分濃厚。演し物もありました。

「おはらい横丁」で昼食を済ませてから、更に南下して松阪に着きました。松阪と言えば本居宣長。というわけで駅前には、宣長さんのトレードマーク、巨大な鈴がありました。しかし、人影の少ない、死んだような町だなぁ。

 

松阪城址です。ここの石垣は何とか衆という専門技能集団が積んだもので、堅固で美しく、他に類を見ないとかいうことです。

 

これは城址内の敷地に移築された本居宣長旧居「鈴の屋」と、鈴コレクションの一つ。

お城を降りて来ると、目の前に「御城番長屋」が軒を連ねております。お城の守護に当たった家来が住んでいたもの。いったん事があればすぐに駆けつけたのでしょう。今でも数戸は当時の子孫がお住まいだそうです。

 

松阪の街並み。松阪商人発祥の地ということで、右は三井家です。これにて松阪観光はオシマイ。久し振りにガシガシと歩いて、すっかり疲れてしまいました。寒いので厚着であったこと、体重が重いこと、靴が革靴であったことなどが敗因(?)だったでしょうか。この晩は松阪に一泊。大風呂付きの宿だったので、ゆっくり風呂に浸かった次第。

翌1月8日は帰京の日ですが、桑名で途中下車して見物して来ました。昔から(多分子供の頃から)、例の安藤広重(最近は歌川広重、って呼ぶらしい)『東海道五十三次』の桑名の絵がお気に入りで、どういう所か一度見たかったのです。松阪ではゆっくり朝風呂などに浸かっていたので、少し出遅れて、お昼頃に桑名着。オヤ?桑名と言えばハマグリではないのかな?駅前の看板には「鋳物の町」とありますね(?)。

 

駅前からテクテクと1キロちょっと歩くと、本多忠勝の銅像が辺りを睥睨していて、右手が桑名城址です。今は九華公園ということで、右図の如く、池があるだけです。

 

公園を出て、本多さんを左手に、少し進むと、そこはもう揖斐川の堤防です。その先には、広重も描いた蟠龍櫓が復元されています。

 

ここは東海道旧道です。右図は本陣の跡。今も料理旅館のようです。何でも鏡花はここで『歌行燈』を書いたとか。

 

本陣から暫く川沿いに歩いて行くと、諸戸氏のお屋敷、庭園「六華苑」があります(今は市の管理)。洋館+数寄屋造り、芝生+日本庭園というワケのワカラン構造。洋館は最晩年のジョサイア・コンドルの設計だそうです。

というわけで、久し振りの一人旅。歴史のある町というのは、どことなく床しい感じのするもので、こういう所をブラブラするのは好きな方です。で、少しは気分転換になったようですが、旅行に最適の季節とは言い難く、やはり疲れました。そうそう、年末に新調したカメラ(ライカD-LUX5)の使い初めという感じもありましたが、使い方に習熟していないせいで、上の写真にも色調の妙なものが混じっていますね(笑)。次の出講は9月ですが、その時は何処に行こうかな。