上海万博(世博会)見物

10月11日~17日の間、巴金逝去5周年を記念した小型のフォーラムと展覧があるというので、上海に6泊で行ってきました。フォーラムその他は12日の一日だけ、展覧の開幕は16日というわけで、その間の15日にそろそろ閉幕も近くなってきた上海万博(世博会)の見物に行って参りました。まぁこのような博覧会の類、日本でも行ったことないし、噂では凄い人出だというので、余り行きたくはなかったのですが、知人が是非とも見なくてはと引っ張って行ってくれたということ。前の晩は結構晩い時間まで強いお酒を呑んでいたのですが、この日の出発は朝の7時45分でした。静安寺から地下鉄(何号線だったか?不肖ポコペン、上海の地下鉄については万博前の認識しかないので、5号線より後は全く分からず。多分7号線とか9号線だったのではないかな?)に乗って、いざ出発!

これは「後灘」という駅で地下鉄から降りたところ、会場の8号門(団体入口)近くに出来ていた行列。時間は開門前の午前8時20分くらいです。

こんな具合に旅行社を探し出して、持参の切符を入場券に引き換えます。案内のY教授は、旅行社に依頼すれば、団体としての特典があると思っていたらしいですが、全くそんなことはなく、単に入場券と引き換えるだけ。後は勝手に並んで入れだって(?)。これで旅行社に儲けが出るとしたら、まぁ一種の犯罪行為ではないかな。

で、ようやく第一関門を潜り抜けると、このような行列用の設備があります。

どういう並び方をするのが“正しい”のか、さっぱり分からぬまま、結構走ったりして、ようやく安全検査の行列となりました。

安全検査も済ませて、ようやく会場内に入りました。朝一番のせいか、まだ人の数は少ないようです。あぁこれなら案外悪くないねと思ったのが全くの誤解であることは90分後にはよく分かりました。

アメリカ館。入りませんでした。

ブラジル館。アマゾンのジャングルのイメージでしょうか。ここはちょっと興味があったので覗いてみました。

これはオマケ。ブラジル館の前にぶら下がっていた看板。確かに中国人は声がデカい。でもそれは“文明”とか何とかってのとはちょっと違う問題のような気もします。そういえば喫煙場所指定は、時間が経つに連れて段々守られなくなりますが、こちらは“文明”の問題でしょう。

さすがブラジル。天井にはカナリアイエローのサッカーボール。

館内中央にあった、四方を囲む形のスクリーンでは、色々な土地の様々な人々がサッカーボールを蹴って、リレーしていく映像が映し出されていました。それが四方を転々としていくのは面白いけれど、目まぐるしい。中にジルベルト・ジルの歌っているシーンもチラと出てきたりして(彼は確か文化大臣かなんかだったな)、最後はゴ~~~~ルっってことになります。すると、このようにスタジアムを埋めたイエローボードがワァッと掲げられて、BRASILの文字を見せるという具合。イヤ、なかなかよく出来ておりました。

これは中南米諸国が一つの建物に集まっているパビリオン。ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ホンジュラス等々です。ここは全く人気がないというか、少なくとも午前の早い時間帯から人が集まり行列を作るような人気館ではありませんでした。

パナマのブースはこれだけで、他には何もありません。これは何かといえば、パナマ運河の模型です。ウ~ム、これしか見せるものがないということか?

キューバ館。社会主義国家というのはやはり珍しさを感じるので展示も見学しましょう。この色遣いはなかなか素敵です。

キューバの名産といえば、バナナ、コーヒー、そしてハバナの葉巻。

かくいうこのポコペン、病気をしてからこちら、かつてのダラしない喫煙習慣からは卒業しましたが、実は趣味として葉巻には凝ってみたいという野望を持っております。で、一つ記念に買ってもいいかなとお値段を見ますと、やはり結構お高いですなぁ。というか、より正確にいえば、これが高いのか安いのかすら分からないので、残念、見送りました(結局帰国時に免税店で店員のアドバイスを得て、少しだけ細手のものを購入しました)。

ベネズエラ館の前にあったシモン・ボリヴァルの銅像です。英雄ですね。

ベネズエラ館は建物が結構モダンな感じ。内部は基本的に映画を見せるだけで、それなりに快適そうなミニシアターがありました。

国家建設、富裕化を、社会主義、革命、平等などという理念とともに、高らかに謳うのはベネズエラだけのような気がします。中庭には何かの新素材でしょうか、白い布切れがバァーッとぶら下がり、其処彼処に写真のような評語が縫い付けてありました。ちなみに同行のY教授に言わせると、この白布、中国でいえばお弔いだって(笑)。なんか穿ったような発言だなぁ。しかし、小さい国でもみな豊かになりたい、強くなりたい、そういう願いは切実で、それは理解できるというか、その切実さには胸を打たれるのですが、このネオリベの世の中、豊かさや強さの意味合いが一挙に均質化、平板化しているようです。その中で、このベネズエラの高らかな調子には、清々しく、毅然としたものを感じました。シモン・ボリヴァルの解放の理想を裏切るまいという姿勢の顕れでしょうか。

カナダ館。入りませんでした。というか入れなかった。この時点で午前11時を回り、ふと入場者数を示す電光掲示を見れば31万人とかありました(!)。人気館はいずれも長蛇の列で、体調のせいで疲れやすい私は初手からパスです。

アフリカ大陸のエリアに入りました。左からアルジェリア、アンゴラ、ナイジェリアのパビリオン。

結構人気のエジプト館を横目に眺め…

ブラジルと来たからにはアルゼンチン館にも入りたかったけれど、ここもかなりの行列なので諦め…

南アフリカはやっぱりマンデラさんかと納得して…

結局、中南米連合館同様に、アフリカ諸国が一堂に会しているパビリオンに入って行きました。ここの中央部はアフリカのバザールの様子を再現しているということで、民芸品の類を売っております。結構な人だかりですが、案外義烏あたりの“小商品”じゃあないのかな(笑)。南アフリカのサッカー・ワールドカップで一挙に知られたブブゼラだって、みんなMade in Chinaだったそうだし。しかし、スーダンにせよソマリアにせよ、中国がアフリカで何やってるかなんて、この“バザール”に群がる“善良な市民”は何も知らないんだろうな。

どこかの国の展示にあった素朴な木琴。一緒に落花生とカカオ豆が展示されていました。そんなものしか展示品がないのだろうけれど、でも一所懸命なんだな。難しいことはよく分からないけれど、貧しいけれど頑張ろうという、そういう健気さには感動させられます。

ルワンダの展示ブースで出迎えるゴリラくん。あまりWelcomeじゃないみたいな面構え(笑)。

これはエチオピア館にあった類人猿の骨格標本。詳しいことは忘れましたが、“人類の母”と呼ばれる“ルーシー”の骨格だと思います(多分)。

アフリカ諸国連合館の出口。人はいよいよ多くなってきました。

ヨーロッパ地域のエリアに入りました。やはりここら辺に人気館が集中しています。手前がイタリア館、奥の変な格好の建物はイギリス館。陳子善さんに言わせると、イタリア館でエスプレッソを一杯飲んで出てくるだけで万博は十分なんだそうな(?)。

オランダ館。チューリップの格好なんでしょうか?何でもゴッホの絵を持ってきたとか。もちろん入りませんでした(笑)。これでヨーロッパともお別れ。

で、最後はアジア地域のエリア。これは中国館。閉会後も壊さずに保存公開するとのこと。見たければ、いつか人のいなくなった頃に行けばイイや。

アジアエリアに立っている標識の塔です。

タイ館。この頃になるともう人山人海、もう人気不人気関係なし、いずこも入場待ちの長蛇の列。

ネパール館。

インド館。ン?土饅頭じゃないか。

レバノン館。何と書いてあるかさっぱり分からず。

イラン館。ちょっと覗いてみたかったけどな。

で、これはお目当ての一つ、北朝鮮館。めったに行けない所ですから。フ~ン、結構立派な建物だな。

しかし、内部は一体何を展示しているのか分からない不思議な空間でした。左に主体思想塔のレプリカが見えます。

何を売っているのかと思われる売店ですが、ここにも人が群がっていました。記念切手とか、朝鮮人参とか、後は民芸品の類かな。

というわけで、すっかり疲れて、14時半頃には会場を後にしました。まぁ思ったより面白かったような気もしますが、見なくても一向に残念じゃない、そんな感じのイベントでした。Y教授に言わせれば、これは大廟会なんであって、そもそも中国人は物見高いからワサワサ集まるのだそうな。運営や施設などは、良くも悪くもMade in China、観客の“文明”度は想像のつく通り。もう会期も最後に近づいていたせいか、全体に薄汚れた感じでした。こちらがもっと元気で、もう少し気のおけない連れが一緒であれば、夜景まで見て、晩飯食ってから帰ってもイイかなと思いましたが、そうしなくとも別に後悔はしておりません。

車を替えた!

4月末に首が痛み始め、5月には頸椎の異常が発見され、以降はお医者にかかる日々…夏休みは毎日理学療法の牽引(要するに「首吊り」ですな)に通いながら、基本的には書き物仕事とお勉強の日々。イヤァ今年は暑い暑い…といいながら、もう8月もオシマイ。取り立てて面白いようなこともなく8月もオシマイ…唯一のニュースは車を買い替えたことでしょうか。今年は車検の年、そろそろタイヤも交換しなけりゃならないみたいで、結構な物入り。まだエコカー補助金もあるみたいだし、それならいっそ買い替えちゃおうと。一番最初に乗っていたスターレットS以来のコンパクトカーにしました。アイドリングストップというけったいな仕組み付きです。しかし、病院に朝一番で歩いて行き、そのままバスに乗って研究室で書き物やら何やらに忙殺されていたせいで、22日に納車になってから、まだ2日しか乗り回していません。まぁこういったことも加齢のせいか、年々感興が薄くなっているのは仕方ないです。
写真にはオマケで楊梅焼酒の完成図も載せました。なかなか美味ですが、確かに香りも味もないような蒸留酒で作るのがイイみたいですね。五糧液で作った方は、酒の香りが強すぎました。

楊梅焼酒

4年前に上海で呑んでから、何時の日か自分でも作ってみたいと思っていた「楊梅焼酒」。今は便利な世の中になったもので、インターネットで宮崎県産の楊梅(ヤマモモ)を買うことが出来ました(500グラムで980円)。
この果実酒の美味しさを教えてくれた上海のゲロ教授に言わせると、これは高級な酒で漬けるもんじゃない、一瓶10元程度の白酒で十分ということですが、日本ではそういうものの方が却って買えないものです。手元には何時の間にか茅台酒が4本、五糧液が2本集まっていたので、その半分を「実験」に使うことにしました。これ以上のものはないというくらい、最高級の楊梅焼酒が出来るのではないでしょうか。
これも指南役のコメントですが、一般的には2カ月後以降からよく漬かって(ヤマモモのエキスが十分に浸出するということか)呑み頃といわれるが、実は漬けてから2週間後くらいが、ヤマモモの清々しい香りが上品に移って、ちょうど良い頃合だと。そして、そこでいったん呑み終えたら、残ったヤマモモにもう一回酒を注いで、今度は長期熟成用にするのだと。フ~ン、いずれにしても楽しみです。このお酒は見た目は宝石のように美しいし、キリッと冷やして呑むと、これがまた堪らないんですね~。で、呑み過ぎると郁達夫の小説、そのタイトルもズバリ「楊梅焼酒」の登場人物のように、酔後乱に及ぶことになると(笑)。味見したらまた報告することにしましょう。

五月になれば

久し振りのアップです。3月末の上海行も、招かれていた5月中旬の上海の座談会も、忙しくて行けませんでした。残念。というわけで、5月になれば花が咲く、そんな写真を載せました。
時に、サイモン&ガーファンクルの名曲、ずっと「五月になれば彼女は」だと思い込んでいたのですが、実はエイプリルでしたねぇ(笑)。しかし、それはタイトルに限っての話、歌詞は4月に始まって9月に終わる歳時記ソング(?)です。Mayの所だけみれば、一番輝かしい季節こそ五月ではないかと。  
 April come she will/When streams are ripe and swelled with rain/May she will stay/Resting in my arms again/June she’ll change her tune/In restless walks she’ll prowl the night/July she will fly/And give no warning to her flight/August die she must/The autum winds blow chilly and cold/September I remember/A love once new has now 

虎年春節前の上海

仕事の関係で、1月26日から30日まで、慌しく上海に行ってきました。4泊5日ですが、初日は夕方遅くの到着なので、実質3日で用事を済ませようということ。
2010年虎年の春節は2月14日なので、そろそろ街の様子もお正月気分です。そういえば、いつも泊まるホテルの近くに《解放日報》社があるのですが、そこの人々がホテルで宴会をしておりました。まぁ忘年会といったことなのでしょうが、それを“年夜飯”というのは、何か妙な気がしました。
今年はさらに加えて、上海で世界博覧会が開催されるのですが、開幕まで既に100日を切りました。盧浦大橋を渡ると、両側が博覧会会場なのですが、まだまだ建設中みたいな感じで、ウ~ム、これで果たして間に合うのでしょうか?
他には取り立てて珍しい景色や絵柄があるわけではありませんが、一応レポートということで。
次回は多分3月末に行くことになりそうです。その時には、上海を一度離れて美味しいものを食べようといった計画も、今回少し相談してきました。今から楽しみです。

2010年お正月

遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。この写真ブログも細々と更新して参りますので、引き続きご愛顧をお願いします。
昨年の病気以来、少しく睡眠障害の気味があり、どういうわけか目が早く醒めてしまいます(老化現象かもしれませんが)。そんなわけで、元旦は5時半に目が醒め、生まれて初日の出などを拝みました。建物の間から覘く日の出ですが、なかなかよいものですね。当日は快晴でした。写真をアップしました。
2日からは久し振りにペケポンの実家に年始の挨拶に行きました。昨年は家の改築中で泊まる場所もないということで失礼したので、2年振りのことです。相変わらず寒い所ですが、新築の家屋はさすがに暖かく、これまでのように震えることもありませんでした。
田舎のこととて退屈ですが、3日には富岡の製糸場跡の見物と貫前神社の初詣に行きました。これも写真を載せましたのでご覧ください。
来年は何と1月4日から(!)集中講義に行かねばならないようで、また失礼せざるを得ません。
今月は月末に上海に用事があって、駆け足で行って参ります。それもまた報告しましょう。
去年のように初っ端から病気で倒れるようなことがないよう、今年一年無事息災で過ごしたいものです。

11月の上海(第9届巴金国際学術研討会)、陽澄湖の蟹

病後初めての上海です。巴金の9回目のシンポジウムが復旦大学で開催されたので参加してきました。
会の準備が直前までバタバタしており、論文を書いたり、投稿論文の審査を直前までしたり、加えて同済大学人文学院での講演にまで駆り出され、出掛けるまでが大変でした。体調の方はまずまずで、困ったような事態にはならず、これは何より。でも、やっぱり重い荷物なんかは持たないよう、腰が冷えないよう、気をつけてのソロソロ旅でした。
シンポジウムが終了して、帰国前日は上海蟹の産地である陽澄湖に一日遊び、本場の蟹を堪能してきました。
蟹というのはとにかく面倒臭い食い物ですが、ここの蟹は確かに名高いだけのことがあって、一味違うことは、上海語で言う「牛喫蟹」の私にもよ~く分かりました。肉にほのかに甘味があって、他の所のものだと、ふとした拍子に妙に苦いようなものを食べてしまうことがあるのですが、ここのはそういうことがなくて、調味料も必要ないくらいでした。これまで少し馬鹿にするところなきにしもあらずでしたが、ウ~ム、何事も馬鹿にして見くびってはいけないと反省した次第。
上海には来月も行くことになるかもしれませんが、この調子なら多分体調の方は問題ないでしょう。これも嬉しいことでした。

夏休み(おしまい~三重県津市)

あぁ、もう夏休みもおしまいです。という初秋の4日間ほど、4~5年振りに三重大学に集中講義に行って参りました。
今回は腰の具合に不安が残るので、ペケポンがひっついてきた…とはいえ、日中こちらが働いている間は、今日はお伊勢参り、明日は伊賀の忍者屋敷と、フラフラ遊んでいるということ(…)。独りだと晩飯が哀しいものですが、二人ということで、そこはまぁ役に立ったかな。毎晩宴会みたいな感じで、当地の豊富な地酒を端から呑んでいました。
何かペケポンにイイ思いをさせにいったような気がしないでもない(…)。明るい内はコッチは講義をしているので、観光地とか名所とかの写真があるはずもなし、となれば残った写真は晩に食った料理のものばかり(笑)。これだけ見て、何だコイツ、飯食いに行ったのかなどとゆめゆめ思われませんよう。
そんなわけで、夏休み明けの社会復帰というか、つまり授業再開の予行演習みたいな集中講義も終えて、気分は段々仕事モードに切り換わりつつある、そんな季節になったということですな。この休み中にもう少し腰が回復するかと思ったけれど、まぁ焦っても仕方ないことです。

夏休み(その3~千葉県香取市佐原)

中国から客員研究員の受け入れを承知したのですが、その来日を迎えに成田まで行くことにしました。夏休みといっても、ズッと家でお勉強ばかりしているのも気が塞ぐ。もっとも腰抜け状態は相変わらずなので、遠出などは論外。今回も学生サンに行ってもらうかと思わんでもなかったが、まぁイイ機会かと、最近の体調からすると少し不安もありましたが、とにかく初秋の晴れ渡った日曜日、それほどは遠くない成田方面へ車を飛ばしました。
佐原にはこれまで2回ほど行ったことがあります。なんでそんなところに?と思われるでしょうが、お目当ては鰻。以前の二回とも鰻を堪能してきました。東関東自動車道を、成田市街、空港方面で下りず、そのまま鹿嶋方向へ行き、大栄ICで下りると、20分程度で水郷、小京都の佐原に着きます。
今回は「山田」という店で、田舎風のコッテリした、しかし安いのに大ぶりの鰻重を味わって参りました(粋好みの江戸っ子は嫌う田舎っぽさかもしれませんが)。
天気のよい日曜だったので、こんな鄙びたような場所ですが、観光客が結構いたには驚き。大型バスで来るんですねぇ。
帰り際に、鰻専門店というより、もっと高級そうな料亭風の料理屋の看板に、「本日天然ウナギが入りました!限定20尾!」と書いてあるのを発見。ウ~ム、また来るかぁ…というくらい、実は鰻には目のないポコペンであります。

夏休み(その2)

夏休みといっても格段の事があるわけでもありません。腰の治癒も緩慢で、“病来如山倒、病去如抽絲”、正にそんな感じ。“傷筋動骨一百天”とも言いますが、いやいや100日間くらいでは到底済まないようです。
で、毎日書き物に精を出すことになるのですが、どうも頭は働かない、集中力も根気もない、ここらも病後ということと関係ありそうです。血行が良くないので、座業が長くなると足が浮腫む、そこで近くを散歩、時折大学にも出る、写真はそんなツマラン日々の一齣です。たまに料理も作ったりしますが、以前のような感興はないようだなぁ。
そろそろ秋気立ってきましたが、それでも暑い日が続きます。体の回復にはこういう陽気の方がいいのか、それとも涼しい→寒い方がいいのか、そこらはちょっと分からないけれど、とにかく早く良くならないものですかね。
写真中の謎の果実と謎の花について、誰かご存知でしょうか?教えてください。