韓国仁荷大学「東アジアにおける国際主義の復元」国際シンポジウム

もはや旧聞に属すと言ってもよいのでしょうが、11月24日から27日まで、韓国は仁川にある仁荷大学で開催されたシンポジウムに参加してきました。なぜこの会議に参加することになったかといえば、少し奇妙な感じなのですが、私は日本からの参加者として出て行ったのではなく、共同主催者の一つである上海大学に割り当てられた(?)頭数の内に入れられたらしい。上海大学文学院の文化研究系の校外委員ということになっている、そのせいで、主任の王暁明クンが動員をかけたということ。まぁ遠くではないし、行ったことのない土地に行くのは好きな方ですから、ホイホイ話に乗った次第。さて、成田発の飛行機が9時台のフライトだったので、空港近くのホテルに前泊したのですが、久し振りに大浴場に浸かってイイ気分になっていたら、家人から電話が入って、何でも北朝鮮が仁川延坪島に向けて砲撃を加えたというではないですか!かなり焦って、韓国や上海にメールを飛ばしまくり、外務省や航空会社の情報も刻々チェックし、どうやら大丈夫らしいと判断、最終的には明朝チェックインカウンターで確認しようということで就寝。

結局、何ほどのこともなく(飛行機は団体の観光客で満席!)、無事韓国は仁川に到着。4年振りくらいの韓国です。大学のゲストハウス(実際は長期滞在用のドミトリーの空き部屋を利用したらしい)に荷物を置き、北京からやって来た先生と、ガイドの中国人博士課程学生の3名で、旧開港地/租界地区の見学に出ました。

自由公園という所でタクシーを降り、先ずはマッカーサーの銅像をチラと見ました。初っ端から微妙な見物です。

ここら辺は要するに中華街です。右側の建物は元は清の領事館のあった所で、今は台湾の出先機関と中学校になっています。

これは植民地化以前の日本租界地区にあった銀行の建物。今は歴史的建造物に関する博物館になっています。

 

ここら辺は日本統治時期には本町通りと呼ばれていたらしい。これは朝鮮銀行の建物で、今は開港歴史博物館になっています。

これは開港歴史博物館の展示物のジオラマ。往時の本町通りの様子を再現したもの。

で、その晩の食事は焼肉でした。後からかつての学生に聞いた所では、最近はこういう骨付きカルビも怪しいものが多くて、何でも骨を接着剤で安い肉にくっつけたりするらしい(驚)。これはどうやら本物らしいとも言ってましたが。

で、翌日からは朝から晩までシンポジウムです。今回はアゴアシ全部主催者持ちですから、いつも中国でやっているような気ままな振舞いはいたしません。神妙に全ての報告を拝聴しました。これは仁荷大学の本部棟です。この地下にある教職員食堂で朝昼の食事をしましたが、基本的には肉スープの猫マンマをキムチで食うみたいな食事、ちょっとツラかったです。

これはキャンパスに屹立するシンボル、龍のモニュメントです。真実を表しているのだそうですが、理由はイマイチ不明。

この大学は何でも李承晩が創設したもので、今は大韓航空の会社が関係しているそうです。そんなわけで、キャンパスには幾つも飛行機が置いてあって、ちょっと不思議な光景です。

これが会場になった図書館。何とかメモリアル・ライブラリーとのこと。ここの6階の会議室でシンポジウムが2日間開かれました。

会場はこんな感じ。なかなか立派な会場ですし、会議としても立派だったように思います。

というわけで、会議の終わった翌日にはサッと戻って参りました。別に大砲の弾が飛んでくるからとか、そういうことではなくて、言葉も通じない(初日の二次会で、中国人3+ポコペンで呑みに出たのですが、酒は指差せば注文できますが、ツマミは困った…乾鱈の辛味鍋みたいなのを注文するのに大奮闘してしまった…)、土地勘もないような所では、案内がいなければ手も足も出ません。2日程なら滞在を延長しても良かったのですが、仕方なく尻尾を巻いたということです。仁川は砲撃事件に一番近い大都市ですが、街中は平穏そのもの、今にも戦争が始まるとでもいいたげな日本の報道のインチキ振りが良く分かりました(笑)。まぁ次は学会にその他大勢の一人で参加するといった形式でなく(ついでに言えば猫マンマは最低限にして貰いたい)、プサン辺りに行きたいものです。

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